悔い


風の便りで、知人が自らの命を絶ったことを知った。


毎朝、家の前を掃くわたしに明るく声をかけてくれた通勤途中の彼女。
人を幸せに導くための精神的メソッドの教師として、たくさんのリーダーを養成し続けてこられた。
日本での草分け的な存在として、海外からも高く評価されていたそうだ。
元気オーラを輝かせ、わたしに「もっと元気に明るく!」と背を押すように微笑みかけてくれた。



彼女のメソッドは「潜在意識へのはたらきかけで、なりたい自分に“自分で”なれる」というものだったようだ。
挨拶程度の短い会話の中でも笑顔と宣伝を忘れない彼女。でも、彼女も彼女のオフィスではたらく人々も
一見シアワセそうでも、観想修道女によく見られるような晴れやかさは感じられなかった。
彼女はよく言った。「ゆりさんのしておられること(キリスト教のこと)とわたしたちがしていることは同じよね。」
まるで同志が肩を組むようなニュアンスだった。
でもわたしは心の中で「ちがう!似て非なるもの!・・・とは言っても、お話してもわかってもらえないわ」


ふだん、宣教部に身を置き、そのためにみなさんを鼓舞するような奉仕をしながら、
イエス・キリストに結ばれることなしに、真の幸せはない」というシンプルなことを伝えられなかった。

彼女ひとりをこんな形でこの世を去らせただけでなく、彼女に導かれて歩んでいた多くの人に対して、わたしは大きな過ちを犯してしまった。