じーざす・とれいる ⑪


ユダヤ教の成人式バルミツバの日だったので、鳴り物入りの盛大なお祝いムードの中、真剣な儀式がここかしこで捧げられていました。
観光客にカメラを向けられることを彼らはとても喜んでいました。


ところで、先日わが教会でも成人式のお祝いが行われ、祝賀パーティーでは新成人たちが一言ずつ挨拶をされました。
6名ともその挨拶は手短で、内容も態度もとても立派で、正直驚きました。司会をした友人もびっくりしていました。他の年の青年と比べるわけではないのですが、なぜ今年の新成人たちは・・・・。

今日、阪神淡路大震災を思い起こしつつ祈っていたときに、ハッと気づきました。
彼らはあの時ゼロ歳だったと思います。あの大惨事のなかで、小さな命がどれほど大きな灯火であったか、周りの大人たちがどれほど命に感謝し、慈しみ合い、毎日を大切に真剣に歩んでいたか・・・。その姿、気迫、愛が乳児だった彼らに強烈に伝わっていたに違いありません。

だから、このように立派な青年たちに育ったような気がします。
「みことばに命を賭けているか」「サンデー・クリスチャンに落ち着いていないか」新しい世代に対しての自分の責任をあらためて心に刻みました。