アッシジの聖フランシスコ 〜大空のように伸びやかな心〜

森の散歩道で焚き火をし、丹精こめて作った籠を火に焼べるフランシスコに
兄弟レオが驚いて尋ねた。


「あなたが作っていた籠をどうして燃やすのですか?よくできなかったのですか?」
「いや、とてもよくできた。よくできすぎたくらいだ。」
「じゃあ、どうして燃やしたのですか?」
「なぜなら、さっき三時課を唱えている間、わたしの注意はまったく籠の方にうばわれていた。
 だから、当然、そのつぐないとして主に犠牲を捧げなければならない。」


「来なさい。なぜわたしがこんなことをしたかを話してあげよう。
 わたしは働く。そしてすべての兄弟が働くことを望んでいる。
 ・・・それでも労働はすべてではなく、またすべてを解決するものでもない。
 それは人間の真の自由への恐るべき障害とさえなり得る。


 人間が生ける真の神を賛美するのを忘れるほど仕事に囚われてしまえば、障害になるのだ。
 祈りの精神を失わないように細心の注意を払って目覚めていなければならないのはそのためである。 これは何よりも大切なことだ。


 大切なことは主に犠牲を捧げる心構えだ。この心構えがあってはじめて、人は素直な心を保つことができる。
 旧約の律法のもとでは、人は畑の収穫や家畜の初穂を神に捧げ、持ち物のうち最もよいものを惜しまず手放した。人はこのように自分の心を開いておくことができ、犠牲を捧げることによって、さらに心は限りなく開かれてゆく。 そこに心の自由と偉大さを得る秘訣があるのだ。」


フランシスコはやさしい表情で彼をみつめ、おだやかに言った。

「そうだ、レオ、人間が自分の仕事を超越し、神だけを仰いで心を高く上げる時ほど偉大な時はない。人が完成されていくのはこういう時である。だがこれはむずかしい、非常にむずかしい。

 自分で作った籠を燃やすのはなんでもないことだ。それが非常にうまくできたようにみえても、たいしたことではない。しかし生涯かけて行った仕事を超越することはまったく別だ。

 このような自己放棄の行為は人間の力を越える。
神の呼び声に従うため、人がひとつの仕事に徹底して身を投げ出し、意気込んで夢中になってそれを果たす。これはよいことだし、必要なことでもある。熱中する意気込みこそが創造の力となるのだから。

 だが、何かを創造するのは、同時にそこに自分のしるしをつけ、それを必然的に自分のものにすることである。
 こんな時、神に呼ばれたこのしもべは最大の危機にさらされ、成し遂げた仕事は執着の度合いに従って、その人の世界の中心となってしまう。仕事は彼を縛って、動きのとれない状態にする。

 そこから離れるためには、力づくがいる。神のおかげで、むりやり引き離される機会が来るかもしれない。そのときはおそるべき摂理的な手段がとられる。無理解、反対、苦しみ、失敗などがそれである。時には神の許しによって罪までがそれに加わる。・・・・

 自分の仕事に心から没頭し、それでいて神に光栄を帰していると思い込んでいる人にとって、突然神がその仕事から手をひき、彼一人の力だけにまかされるかのように見える時が来る。

 そのうえ神は、喜びと労苦の中にかなりの年月、彼が心身をささげたことをかえりみず、その仕事を断念するよう要求しているように見える。

『おまえの愛する一人息子を捕らえ、モリアの野に行って全焼納祭としてささげよ』

この恐ろしいことばは、神からアブラハムに言われたものだが、自分を神のしもべと思う人はだれでもいつかはこの言葉を聞く日が来るであろう。

 
 人は神を喜ばせるためには、あれこれのことをすれば十分だと思い込んでいたが、それは自分の望みを叶えていたに過ぎなかった。人はその業がどんなによいものであっても、それによって救われるものではない。さらにその人自身が神の作品となる必要がある。

 創造主の手の中では、陶工の手の中の粘土よりももっと従順で、もっと謙遜でなくてはならない。
籠作りが手にする柳よりも、一層しなやかで、一層しんぼう強いもの、真冬の森の枯れ木よりも、もっと貧しく、もっと見放されたものとならなくてはならない。

 
 自分の貧しさの極みで、苦悩のどん底で、はじめて人は限りない信頼を表し、神に心を開き、自分の存在と救いの絶対的主導権を神にゆだねることができる。

 
そのような時、人は聖なる従順がなんであるかを理解する。
子どものようになり、創造の聖なる業を演じて、苦しみも楽しみも超えた喜びと力を知るようになる。太陽と死を同じ心、つまり同じ程度の重みをもって、同じ喜びの心でながめることができるようになるのだ。」


 レオは黙っていた。もはや何も尋ねたいとは思わなかった。


 エロワ・ルクレール著『まことの智にいたるまで〜アシジの聖フランシスコのあゆみ〜』光明社より    絶版となったこの書が、またどこかで出版されますように。。。。