わたしの心の傷


この前の待降節に、わたしは自分の心の傷に向き合ってみた。
今日の社会では「トラウマ」という言葉が多用されるようになったが、
わたしたちはまるで自分の宝もののように、
いつの間にか自分の傷を大切に握りしめていないだろうか。
「その傷から解放されたい」というような振りをしていながらも、実はそれを手放さないように握り締めていないだろうか?


神さまは、わたしたちがあらゆる枷から解放されるために、独り子を送ってくださったのだから・・・
待降節の心の修養として、神さまのみ前でしっかりと「傷」に向き合ってみようと思った。


わたしの心の傷、それは「人様に料理をお出しする恐怖感」だ。長期にわたるある体験が強い恐怖感になっていたのだ。
自分が食するものは作れても、他の人に召しあがっていただく時に恐怖感が湧き上がる。


友人がわが家に集うたびに、ことばにならない緊張が走る。息苦しい。
でも・・・幼子イエスさまがこの世に来られるということをもう一度黙想してみた。
わたしたちひとりひとりを命がけで罪や傷から解放してくださるために、御父が御子を送ってくださるのに、
わたしは勝手に「傷」というコートを脱ごうとしないで、自分で握りしめていたのだ。オカシナ話だ(^・^)


わたしは御子イエスによる秘跡を受けられる!自力では癒されないが、主が癒してくださる!
神さまの恵みはシンプルな運びだ。なのに、わたしが握りしめて、複雑で困難な流れにしていたのだ。
そう、“今”“ここで”解放されよう!!


ずっと、あたたかく応援してくれている友が、ステキなレシピを教えてくれた。
このキッシュを一枚焼くたびに、わたしの心はほころんでいく。
出来上がりは「おかめちゃん」になることもあるが、失敗すら楽しくなってきて、
「ねぇ、食べてみて!」と、怖がらずに言えるようになってきた(*^。^*)/