主は与え、また、取り去りたもう。


  

  「ラッキー、おはよう!
   ♪〜今日もいのちをありがとう!新しい朝をありがとう!あなたを今日も生かしてくださった神さまにさ〜んび〜♪
   ラッキー、今日もわたしのために生きていてくれてありがとう! じゃ、ごはんね♡ 」

毎朝、わたしの喉から最初に発することばは、ラッキーとともに神さまへ賛美と感謝を歌うものだった。
その後、ごはんをあげる。姉犬サラが生きていたころは食い意地が張っていたので、すごい勢いで食べ出していたラッキーが、
わたしと二人きりの生活になってからは、食べるのをがまんしてまでわたしに甘えてきた。



大型犬、特にダルメシアンの“甘えた度”はすごい。「心を尽くし、力を尽くして」甘えてくる。
ここ数年、一言では言いつくせない試練を過ってきたわたしを全身全霊で支えてくれたラッキー。
単にカワイイペットや番犬の域を超えて、ソウルメイトのようだった。
言葉を超えた「スキンシップ」や「息遣い」「まなざし」そして、「そこに居る」ことでお互いを支えていた。
言わば、神と人が“祈り”を通して愛し合うように。


ラッキーが地上での役目を終えたと判断された御父は、今朝、前触れもなしに彼女をこの世から旅立たされた。
“大好きなゆりちゃん”を託せる人を見つけたラッキーも安心したのか・・・この世の使命を果たしきったような安堵感に満ちた寝顔だった。
これからは看護を通して恩返しをしたかったわたしに、その負担をもかけずに旅立ったラッキー。
わたしは感謝と申し訳なさでむせび泣いた。

  主は与え、また、取り去りたもう。主の名はほめ讃えられよ。  (ヨブ記1/21)