気づき 

 蒸し暑いこの季節になると、大切な教訓を思い出す。

 以前暮らしていた家は、築60年で、震災後は床もところどころ陥没し、廊下は斜めに歪んでいた。
割れた窓ガラスにはセロテープ、隙間の空いた床板には新聞紙で補強?する生活では、
御父の造られたさまざまな動物との共存が日々の課題だった。

 
 そんな家で湿気と気温が増すと、廊下や洗面所で奇声が上がる。キャ〜!!イタイ〜!
ほんとうに「百の足を持つ」のか、ムカデ(百足虫)が出没するのだ。特に出産期にあたるこの季節、ムカデの小さな子どもが靴下の中にいることもあり、何度悲鳴を上げたことか・・・

 でもある時、ふと気がついた。神さまがお造りになったもので何一つ悪いものはなく、すべてわたしたちのために「善し」とされて、今もその存在を支えておられる。それなのに、同じように生かされているわたしがそれらを忌み嫌うのは、やはり何かおかしい!

 刺されてから、キャ〜!イタイ!と叫ぶのならまだしも、出会った瞬間に忌み嫌った視線を投げかけたり、憎んだりするわたしの心の方が病んでいるのではないか?ムカデがわたしを痛めるより、わたしの心の方がよっぽど神さまのみ心を痛めているのではないだろうか?

 
 そんなことを思い巡らしていた時、ある動物学者のことばを聞いた。
「動物は、人間から危害を加えられなければ決して噛んだり引っかいたりしない。キケンを感じた時だけ、身を守るためにそのような行動をとる」


 ある日の午後、昼寝をしていると向う脛のあたりにス〜ッと何かを感じた。「風に煽られたカーテンかな?」 うとうとしながらそう思っていたら、
今度はもう一方の足にス〜ッと優しい気配を感じた。ん?  少し身を起して足元を見ると、何と!ムカデがわたしの向う脛を行ったり来たり!!
眠っていたわたしの足の細胞は恐怖感や嫌悪感を発することがなく、ムカデも一切キケンを感じなかったので、安心して行き来していたのだ。

 
 では“永遠の愛”であられる神さまは、兄弟ムカデを通してわたしに何を教えてくださっているのだろうか? 祈りの中で彼らの姿を思い巡らしてみた。
 ムカデはキケンを察知して猛スピードで逃げるとき、百だか千だか知らないがあれだけの足を一斉に同じ方向へ動かしている。
足がもつれることなく、混乱することもなく、カラダが統一されている。
 そして、夫婦がいつも一緒に行動しているようだ。一匹を発見すると、数メートル内に必ずパートナーがいる。
 神さまはムカデを通して、わたしたち人間に大切なことを教えてくださっているような気がしてならない。