三月のクラスの要約 〜聖ヨゼフの月〜


カトリック教会では三月を「ヨゼフさまの月」として祝います。
聖ヨゼフに対する篤い信心をもっていた聖人たちは少なくありません。
目立たない存在ですが、マリアさまと並んで「教会の保護者」とされているヨゼフさまはいったいどのような方だったのでしょうか?


聖書のなかに登場されるヨゼフさまのお姿をゆっくりと思いめぐらしてみましょう。
→ 参照箇所:マタイ1/18〜、2/13〜 ルカ1/27、2/4、3/23〜33


以前からヨゼフさまに強く惹かれいるわたしは、祈りのなかで感じることがあります。
それは「もしかするとヨゼフさまは御父にそっくりなのではないか」ということです。
なぜならば、御父にとって何よりも大切な御子とマリアさまを託すために選ばれたのがヨゼフさまだからです。
当時のユダヤ社会は危険と貧しさに包まれていました。そのような環境の中で大切な母子を守り、養い、使命を全うさせるためには愛に溢れることはもちろん、賢明で思慮深く、逞しい行動力がなくてはなりません。そこで御父が選び出されたのが“ダビデの子孫ヨゼフ”であったと思います。
御父の絶大な思いを託されたヨゼフさまは、おそらく御子に次いで御父に似た方であられたのではないでしょうか。そんな気がしてなりません。


そしてもう一点。ヨゼフさまの「沈黙」について感じることがあります。
福音書で言葉が記されていないヨゼフさまを「無口な人=沈黙の人」と取ることができるかもしれません。
しかし、彼の行動力を眺めると、それだけで“雄弁に”福音のメッセージを語っているように思えます。
御父と聖母子への愛を行動で語っているヨゼフさまは、わたしにとって「隠れた聖人」どころか「眩しいヒーロー」です!


また、実際に言葉が少なかったとしたら、それはヨゼフさまが偉大な神秘を目の当たりされておられたからではないかと思います。
わたしたち人間は非常に深い体験をしたり、自分の理解を超える喜びに遭遇すると、それを言葉に表し難いことがあるでしょう。
ヨゼフさまは毎日、御父から託された最も清い宝を間近で眺めておられました。そのような恵みのうちにあるヨゼフさまは荘厳さとあたたかさに満たされて、きっと沈黙のうちに心の中で合掌しておられたと思います。ちょうどわたしたちが赤ん坊の愛らしい寝顔を見て、その神々しさに思わず合掌したくなる気持ちに近いかもしれません。


わたしたちがヨゼフさまに少しでも倣えるとすれば、まず家庭の中にいてくださる御子とマリアさまに気づき、そのおふたりを眺めて生活することではないでしょうか。そうすることで、ヴァチカンに行かなくても、特別な殉教を目指さなくても、ヨゼフさまのように教会と全世界の救いのために使命を果たせるとわたしは確信しています。
ヨゼフさまのご保護とお手本によって、最も身近なところで主と聖母の現存を味わい、喜びや苦しみをともにすることができますように。