2月のクラスの要約 〜愛の季節・四旬節〜


灰の水曜日(今年は2月13日)から四旬節に入ります。
節制と回心に努めるこの期間は「極みまで愛してくださる神」の恵みに分け入る「愛の季節」とも表現できます。
神の愛は主イエス・キリスト、特に十字架上で死に至るまでわたしたちにご自身を渡してくださった主のお姿に表されています。
残酷な刑に処せられたお姿の中に、しっかりと神の愛を見ることができるように祈りを捧げてまいりましょう。


人間は肉体をもった存在ですので、感覚を用いることも聖霊へのアンテナを研ぎ澄ます助けとなります。
大斎・小斎・心をこめた捧げものなどを通して、イエス・キリストの受難と死を想う季節であることを意識しましょう。


また、わたしたちはこの季節にもう一度、日頃の祈りについて振り返ることも大切かと思います。
たとえば、良心の奥底をよく調べてみると「祈り」や「教会生活」の中にも自愛心や嫉妬心が混じっていることがあります。
「自分は惨めな罪人である」と自覚しているようでも、人から讒言されたり、担当の務めから外されたりする時、不快さに包まれる経験はないでしょうか。このように、ふだんは気がつかなくても何か刺激を受けたときに、隠れていた丸太が水面に浮き上がってくることがあります。


わたしたちは「神の愛」ということばでさえ、自分に都合のよいイメージを抱きがちです。「優しい」「叱らない」「豊かで安全な暮らしを保障してくれる」のが「神の愛」だと思い込んでいると、試みが起こったときに不信感や絶望感に包まれます。

今一度、祈りつつ福音書を読み直し、主イエスのまなざし、ことば、み声の調子、お姿を味わってみましょう。
そうすることで「祈りの意向」が清められ、自分のプラン、自分の満足に染まりがちな日々の祈りや営みが、「神さまをお喜ばせする」という一点に焦点が定まってくると思います。これは生涯かけてのプラクティスと言えるかもしれません。
どうかわたしたちが「自己流の神認識」から解かれ、「主イエスの示された神の愛」に目覚めることができますように。