洗礼者聖ヨハネの殉教


「傷ついた」「傷つけられた」
わたしたちの社会でよく耳にする言葉の一つかもしれない。
自分も神さまや人々を傷つけているのを忘れて・・・・


イエス・キリストと洗礼者聖ヨハネは、そういう言葉とまったく違う次元を生きておられた。
真理のために、また本当の愛のために、自分の命を捧げていかれた。すなわち、自ら傷を負い・・・・殉教の血で、天国への道を彩ってくださったのだ。


洗礼によって同じ“過ぎ越し”に結ばれたのだから、この“狭き門”に足を向けたい。
そのためにはまず、「傷ついた」「傷つけられた」という言葉から離れて。