夢なら・・・

「もしこれが、夢なら覚めないでほしい」
昨日から何度も心の中で繰り返す。

復活節の昼下がり、花から新葉に着替えた桜の樹の下での出来事だ。
眼を瞬かせた。「えっ?え、今何と?」
春の陽気のせいか、三時間のクラスを終えた心地よい疲れのせいか、
少し頭に霞がかかっていたので、聞き間違いかと一瞬わが耳を疑った。

ひとりのご婦人が提案してくださったのだ。
「十字架の聖ヨハネが大好きなのです。ごいっしょに勉強しましょう!」と。
そしてもうひとりのご婦人が「わたしもぜひ!」ときれいな目を輝かせた。

確かとっさに歓声を上げたと思うが、それでも頭の中の何割かは「えっ?夢?」と繰り返す。


十年以上、わたしには一つの強い「渇き」があった。その内容を知る人はふたりくらい。
シンプルに言うと「十字架の聖ヨハネや聖テレーズのメッセージを広く伝えたい!分かち合いたい!」
ということ。その望みは疑いようのない、抗い難い勢いで、わたしの中に響いていた。

でも、そのチャンスはなかなか訪れない。それに、どんなにわたしが渇いても、
その渇きがイエスさまの渇きと重なるとは断言できない。
「時」ではないのか?それとも「神さまのみ旨」ではないのか?

あまりにも強い「渇き」と、その正反対のような奉仕を教会から求められ、
腕を左右から強く引っ張られるような苦しみ・・・・

そのことを神さまに尋ね、答えを待つのも疲れてしまった。
親友は「ぜったいその望みを手放してはダメ!」と言うけれど
神さまのお望みでなければ、どんなにわたしが望むことでも手放して、捧げなければならない。


・・・・・・・・・

神さまに願うことも、尋ねることも忘れかけたわたしに、突然「時」が来た。
夢なら、覚めないでほしい!

神さま!小さな小さな、とるに足りないわたしたちの新しいスタートを祝福してください!

十字架の聖ヨハネ、小さいテレーズのメッセージをとおして、わたしたちの中で
神さまとの絶え間ない交わりが深まってゆきますように!
「祈ることと愛すること」この何にもかえ難い真実のよろこびが広がりますように!