二つの穴

大きな契約が一段落したとき、A氏とわたしは心底ホッとして世間話に入った。
話題は父の思い出。父がA氏を気に入っていたのが、エピソードからよく感じ取れる。
「あの時こんなことを言っていた」「こう言うとこう返してきた」
ふたりでお腹を抱えるようにして大笑い。
今もこうして楽しませてくれる父がたのもしく思えた。



そこでA氏が「お父さんは苦労知らずのボンボンでしたね〜」
わたしは目が点になった。「???」
その表情に気づいたA氏は「イイ意味で、ですよ」と慌てた。

「あの・・・家が貧しく父親と死別していたので、父は学業を続けられませんでした。
なので、中学を出た翌日、風呂敷に日記帳と下着一組だけを包み、祖母に向かって
『この風呂敷がどうなるか見ててね』と言って家を出ました。丁稚奉公に入ったのです。」


こう言うと、今度はA氏の方が“鳩が豆鉄砲を食らったような”顔をされた。
「では、お父さん・・・たった一代で?・・・てっきり前の代から譲り受けたのだと・・・」

わたしはそんなA氏の表情を前にして、「ジイジ、カッコイイ!」と内心感じていた。


“イイ人”=“見抜ける人”というわけではないので、A氏を信頼する気もちは減らないが
ほんの少し寂しさも心を過る。「ありのままで理解してもらいたい」という望みがあるからだろう。

小さき聖テレーズが「人間はほんとうのことを見抜いていない」というようなことを指摘していた。
「わたしがどんな道(聖女は霊的にも身体的にもひどい苦しみの中を歩んでいたが周りは

気づかなかった)を歩んでいるかを知ったら、みなさん驚かれるでしょう」とも。

ほんとうのことをご存知なのは、神さまと真理を見通している人だけ。


きっとA氏はわたしのことも、“苦労知らずのお譲ちゃん”と見ておられるのだろう。
ま、“お譲ちゃん”という歳でもないけれど(*^。^*)