ふぁうんでいしょん (3)
勤めていた頃のある日、学びのクラスへ向かった。
いつも執務室で静かに祈りながらわたしたちを待つ師が、
その日は椅子にもたれて足を組み、一枚の紙を見ておられた。
えっ?統計? 師は霊的なことにしか関心のない聖なる方と思い込んでいたわたしは、紙を覗いて驚いた。
「統計というものは、現状を把握するためのものではないんだよ。
10年先、20年先のことを知るためのもの。そのために今からすべきことを知り、やり始めるの。
状況が変わってからでは遅いの。」
へ〜(・。・)
自分の進路、自分の人生・・・自分のことで手いっぱいだったわたしは教会の将来まで頭になかった。それに現状がどうであれ、将来がどうなろうと、この師は達観されていると思っていた。
わたしの表情に気づいたのか、師は説明し始められた。
「今、50代の司祭がこれだけ、30代の司祭がこれだけ。十年後、どうなる?十五年後は?
この人数で、これだけの高齢司祭を世話しながら司牧することになる。」
「『神父さま、カレーのお鍋はどこですか?』『ストーブを出してもいいですか?』
そういうことを司祭が担っていたら、どうなる?
引き受ける司祭もおかしいが、信徒もしっかりと召命に目覚めて、
それぞれができることを担わなくてはならないの。」
「司祭は秘跡や霊的識別がしっかりできるよう、祈りと学びにエネルギーを
注がなければならないから。」
みながそろったところで、犬養道子著『生ける石』を用いたクラスが始まった。
ファシリテーター役は、信徒が一人ずつ毎週交代ばんこ。
25年も前のことだ。