ふぁうんでいしょん (4)
信者になりたてのひよっ子の頃から、「人のために祈る」ことの重要さを教えられた。師からオファーが来る。
「Aさんのために祈ってください。今、とても苦しんでいます。」
「B神父さまのために祈ってください。わたしの恩人で重責を担っています。」
「Cさんのために祈ってください。信仰の問題で迷っています。」
そんな時「その方は、どちらの教会の方ですか?」「学生さんですか?」などと質問をしようものならピシャっと叱責される。
「その人のために祈るということは、いろいろと状況を知って判断をすることではありません。
頭を働かせるのではなく、その人を神さまのみもとへそっと差し出すのです。」
洗礼によって祭司職をいただいたわたしたちは、預かった捧げものを
祈りをこめて祭壇に差し出すことが勤めであり、そこに人間的な分析はいらない。
痛みや喜びに共感しつつも、「分」をわきまえて謙って、且つ大胆に\(-o-)/
やがてわたしはその使命に目覚めていった。
「人のために祈る」「司祭のために祈る」ということは、
単に何かの信心業を花束にして捧げることだけではなく、
「自分自身の生涯を全焼のいけにえとして祭壇にのせる」ということに。