父の着ぐるみ 〜在宅ホスピスと見送り〜


            
「あと一年の命です。たぶん次の夏は越せないでしょう」
6年ほど前、病院の準無菌室で力なくベッドに横たわるわたしに医師たちはこう告げました。

ところがわたしは奇跡的に小康を取り戻し、その時見舞いに来てオロオロしていた父を逆に介護することになったのです。
 しばらく入退院をくり返していた父の癌は全身に転移し、これ以上積極的な治療ができないということで、担当医はホスピス行きを勧めました。そこで父は「在宅ホスピス」を選んだのです。とは言え、たった一人の介護者であるわたしが病弱。まともに考えると「ムリ!」です。なぜなら当時のわたしは肺炎を病んだり、腫瘍の摘出手術を受けたりで、まだ人を看護するどころではなかったからです。

 でも「父の介護を在宅で!」という神さまのお望みに抗うことはできませんでした。「何でこんなことに・・・入院してくれたらどれほど・・・」当時のわたしは不機嫌なまま、仕方なく父に仕え始めたのです。
 ところが、父が度々口にすることばがわたしの心の向きをゆっくりと変えていったのです。「しあわせやね〜。ありがたいね〜。ゆりちゃんもしあわせやね〜」と冗談交じりの口調ですが、発せられた“ことば”は聖霊を受けて“現実”となっていったのです。
 ついにわたしの思い違いが矯め直されました。ヨハネ20章のマグダレナのようにわたしの目が開かれて、現状はかわらないのにその中に潜む真実が見えてきたのです。わがまま放題の父の中におられるのは孤独な花婿キリスト!忙しいわたしを10分おきに呼びつけるのは善き牧者イエスさま!食べこぼし、食べ残すのは幼子イエス!静かに眠るのは船の艫の方で眠るわが師!そう、そこにいるのは父の着ぐるみを着た“あの方”だったのです!

こうなったら降参です。ただただ、押し寄せる恵みに応えるだけ。でも現実には、わたしの信仰も徳も体力も時間もナイナイ尽くしなので、倒れたり転んだり。
 そこで神さまは、み旨の実現のために自ら手腕を振るわれました。我が家から歩いて5分のところにある在宅ホスピスの医療チーム。その道の権威でいらっしゃる関本先生をはじめスタッフの皆さまが、介護者であるわたしを力強く、愛情をこめてお支えくださいました。
 その上、次々に寄せられる励ましのおことば、あたたかいお見舞いや助け、気晴らしに誘ってくれる友だち。そして何よりも時間と空間を超えた熱烈なお祈りがみ心を揺さぶり、父とわたしは何とか支えられたのです。
 また特筆すべきは三人の甥っ子たち。週末には泊まりがけでやって来て、おむつ交換や入浴介助を手伝い、ジイジと語らい、わたしにはとても及ばない愛を父に注いでくれました。「ゆりちゃん、いつもたいへんだね」と陰でわたしを労ってくれたのも幼い彼らでした。

 父は今年のお正月ごろから、体力・気力・記憶力・判断力・・・神さまからいただいたものをゆっくりとゆっくりと手放し、神さまにお返ししながら、旅立ちの準備を進めていたようでした。

「ジイジ、天国はいい所よ。でもね、そんなに早く行かなくてもいいのよ。もっともっとここにいて・・・」物心ついて初めて、父に甘えて泣きました。呂律が回らない口で「ウレシイ・・・シアワセヤ・・・」と語りながら、父はわたしの頭をなでてくれました。数日後、自宅のベッドの上で孫たちにからだをさすられ、声掛けられる中、与えられたいのちを生き切りました。「これぞ、在宅ホスピス!」と言わんばかりの最期でした。

こうして父は“死”という薄いヴェールを通って“まことのふるさと”へ入りましたが、彼はきっとこちらの世界にいたときから天国を味わっていたと思います。
 
 神さまのあわれみと人々の祈りによって、この地上に“神の国”が実現することを目の当たりにした数年間でした。                    心から賛美と感謝! 合掌