聖ルカのすがた



ひとりの罪びとが十字架上で見た
となりにつけられた神の子イエス
みんなに見捨てられ ののしり受けながら
何を待っているのか 静かなイエス

Jesus,remember me,when you come into your Kingdom! (×4)


ひとりの罪びとの 澄んだまなざしに
傷ついたイエスは 王と映った
ひとりの罪びとは イエスの名を呼んで
十字架の上から 神のみ国へ

Jesus,remember me,when you come into your Kingdom! (×4)



ミニ・コンサートでこの歌を歌えたことは、わたしにとって言葉にできないほどの喜びだった。
でもそれは、胸が熱くなるとか、感動に震えるとか、そういう感覚にふれる喜びをはるかに超えている。
わたし自身が、何か揺らがないものにしっかりと突き刺さっているような・・・
宇宙の深奥に電信柱のように根ざしているような・・・


ルカ23章のこの罪びとに出会ったのは、わたしが28歳の時であった。
神さまをお喜ばせしようと、一所懸命に心と力を尽くしているにもかかわらず、
何をやっても裏目に出て、身体は壊すわ、周りの人に負担をかけるわで・・・

「わたしは神さまをお喜ばせできないのか?」苦しみ悶える日々が続いた。

そんな時、聖テレーズのように福音書の中に答えを見出そうと必死で読んだ。
特に惹かれるルカ福音書を最初から読み続けていたが、なかなか光が見いだせない。
疲れ果てた心で這うようにページをめくり続けていたある日、喜び弾むイエスの声がした。


「はっきり言っておく。あなたは今日わたしと共に楽園にいる!」ルカ23/43


なぜ? どうしてイエスのみ顔がパッと輝いたの? だれ?イエスをこんなに喜ばせた人は?
そこで一節前をもう一度読み返した。「Jesus,remember me,when you come into your Kingdom! 」
ひとりの罪びとの叫びがあった。 この叫び、この祈りが、イエスの心を捉えたのだ。
わたしは数節前に戻り、この罪びとの有り様や心をゆっくりと思い巡らした。


たしかに・・・最高の模範である。しもべとして、愛人として、友として、伴侶として、弟子としてイエスをお喜ばせするには
彼のような謙虚さ・大胆さ・単純さ・愛・自分を棄てきった清さ・透明さ・受けるあわれみへの信頼・希望する心が一番大切なのだ。
業や熱心さではない。 ・・・その時、ハッと気付いた。 もしかして、これは聖ルカ自身の信仰告白ではないか?
なぜなら、この罪びとの姿に「ルカ福音書」に表わされたメッセージがすべて集約されているように感じるからだ。


雨宮師に尋ねてみた。師は静かにこうおっしゃった、「多くの聖書学者は、この罪びとの存在が史実ではないと捉えています」と。 ではヤッパリ! 「わたしには、聖ルカがこの罪びとを用いてご自身の信仰を宣言されておられるように思えてなりません」
師とわたしはにっこりとうなづき合った。


「Jesus,remember me,when you come into your Kingdom! 」
この罪びとと出会って以来、わたしの祈りはこのひと言に尽きるようになった。ほかの言葉はいらなくなった。
もし、わたしの葬儀ミサをしてくださる時があれば、天の門を開けていただくためにこの歌をうたってほしい(*^。^*)