小さな舟は風に吹かれて 4


一年前の今ごろだったと思う。
春に開かれる「マザー・テレサ生誕百年記念写真展」の準備委員会が立ちあがって、動き出した。


ちょうどその頃、父の介護に負われていたわたしは、ある夜、父が眠りについた隙にカメラをかついで家を抜け出してルミナリエに向かった。
こういうささやかな息抜きがとてもうれしかった。
エスとともに見上げる光・・・マンゾク(*^。^*)


こんな調子だからか、忙しく見えないらしい。次々に用を頼まれてしまった。「写真展の開会式にこの歌をうたってはどうか? あなたが責任持って、こどもたちを数十名集めて」「その前に各学校へ依頼して、教えに行って」


断れない性分もわるいのだが、体力はもう限界に近付いて、二年連続の肺炎。声も出なくなってきている。
それに「人前で歌う」「人に歌を指導する」なんて、わたしの召命(Calling)ではない!!と確信していたので
かなり強く抵抗したこともあった。  それが今、こういうところまで舟は流れてきた。


偉大な聖人は言う。
「“神との一致”のためなら、“自分”を捨てなければならない。自分のプラン、自分の方法、自分の好み、自分の傾き・・・
霊的なことに関しても自分のスタイルや傾きを捨てなければ。」
これは非常に厳しい。自分では決してできない。 でもそれは、福音書のあらわすメッセージそのもの。


OL時代のわたしはとても有意義なポジションで、楽しく充実した日々を送っていたが、わたしには隠れて祈る生活がみ旨だと思った。社会から見えないところで、蝋燭のように身を熔かして光を放つような生活は、とても厳しいが最もしあわせを感じる。
でもそれは、あくまでも「わたしが感じる」こと。  神さまはスーパー・ヴィジョンをお持ちのようだ。


どういう航路が用意されているのか知らないけれど
風を受けてすすむ小舟なのだから、めいっぱい帆を広げて水面をすべって行こう(^−^)/ “神の愛”の大海原なのだから。