深夜の公教要理


受験勉強でもパジャマパーティーでも決して徹夜ができなかったわたしが、明け方まで電話で話し込んだ。


再会した友だちが、イエス・キリストについて、神さま、教会について問うてくれるので、こちらも熱が入る。
「ゆるし」「罪」「和解」から「三位一体とは」「教会博士とは」というところまで話題は流れるが、ストンと腑に落ちることまでには至らないようだ。
語って伝えようなどと期待してはいけないとわかってはいても、
キリスト信者ではない友だちの真摯な心とすぐれた理解力に応えようとすると目が爛々と冴えてくる。


ところが、ついにわたしのブレーカーが落ちてしまった。
突然、強い睡魔に襲われたのだ。
中断することを許していただいたものの、言葉で説明できないことにもどかしさを感じつつ眠りについた。


三時間ほど眠っただろうか。目覚めたとき、「ハッ!」と我に返った。 そうだった!!
エスさまは「神の国」について語られるとき、ある人たちには譬えを用いて話され、弟子たちにはそのものズバリを語られていたことも。
でも何よりイエスさまは“Come and see!”(来て、見なさい)とおっしゃったではないか!



そんな大切なことにわたしが気づかされたのは、深い眠りの中。
聖書の世界では大切なことが告げられたり神さまの直接的な介入が行われるのは
“夜”や“深い眠りの中”が多い。 ヨセフさまへのお告げもそうだった。


心身の緩みにまかせて眠りに落ちている毎日だが、これからは“神の世界”へ入れていただく気持ちで
積極的に床につこうと思う。                 写真:主の天使が聖ヨセフの夢に現れた。マタイ福音書1/20,2/19〜23