天使たち Ⅵ

教会からの訃報連絡メールを見て、目を疑った。
消息を案じていた老婦人Oさんのお名前が載っていたからだ。「ということは、これまでこの神戸でご存命だったのね・・・」
深い悔いが心に広がって、今日はほんとうに苦しい。

Oさんとの出会いは2009年12月24日16:30のクリスマス・イヴミサだった。
ミサが終わって、しばらく沈黙して感謝の祈りを捧げていたときのことである。隣りに座っておられたOさんがわたしに話しかけられた。
「あなたの声、あなたの歌を聴いてミサにあずかっていると・・・(中略)・・・ぜひ、人前で歌いなさい。コンサートをなさいませ。
わたしは必ず聴きに伺って、あなたを応援し続けるから。コンサートをする時は知らせてちょうだい!」そうおっしゃって、お名前と電話番号を教えてくださった。
その頃のわたしは、まだキリスト教誌『こじか』(オリエンス宗教研究所)に歌を連載し始めて数カ月。CDを出版していただけることもまだ決まっていなかった。
「わたしが人前で歌うなんて。いったいどこで・・・」とためらうと、Oさんは「あら、○○ホールだってあるし、△△もいいんじゃない?とにかくがんばりなさい」と背中を押してくださった。そこまで言われてもまだお返事にためらっていたが、美しく毅然としたOさんの中に“天のみ使い”の存在を感じとった。


その翌年、ファーストアルバム「風のなかに」をリリースするにあたり、度々Oさんのおことばを反芻したおかげで、踏ん張りどころを過ぎ越せた。そしてとうとう神戸中央教会で初コンサートを開くことになり、わたしはOさんのお宅に電話をかけた。「やっと、やっと、貴女のメッセージを実現することになりました。あの時のあなたのメッセージがわたしに一歩踏み出す勇気をくださったのです。ほんとうにありがとうございます。ぜひ、コンサートへお運びください!」わたしは必ずこう口にするつもりだったのだが、電話にはどなたも出られなかった。三度かけても同じだった。
そこでわたしは教会で最も顔の広い人にOさんの消息をご存じか訊いてみた。「さあ、もうずっと来られてないわね。どうされているか知らないわ」とのお返事。高齢の方の中には、お身体が弱られて、お子さまのところへ引っ越されるケースが時々あるので、Oさんもそうなのかもしれないと勝手に判断してしまった。そしてわたしはそれ以上お探しする努力を怠ったのだ・・・・・


それでも気になっていたわたしは、2010年も2011年も手帳を新しくかえる度にOさんのお名前と電話番号を書き写してきた。洗礼名はセシリアということだ。音楽がお好きだったのか、お名前をつけてくださったかたの思いだったのか。
音楽活動の恩人とも言えるOさんに、地上でCD「風のなかに」を聴いていただきたかった。そのために努力が足りなかったわたしは情けない思いでいっぱいだ。もし、一生懸命探しに探して再会できなかったのなら、み旨だったのかもしれない。でもこれはまったくわたしの怠りだった・・・・・

Oさん、次のコンサートには聴きにきてくださいね。秋に行う予定です♪ イエスさまとマリアさまとご一緒にいちばん音のいい席で、いえ、わたしの近くに来て背中を押してください。お招きがおそくなってごめんなさい。 そして、もしよろしければこれからも応援してください。
わたしはお祈りしています!貴女が天国でたくさんの天使たちとともに、神さまへ賛美のほぎ歌を捧げ続けてゆかれますように!!