「イエスさまのみ心」事件

エスのみ心の祭日をミサとご聖体顕示でお祝いし、午後は静かな喜びのうちに仕事を進めていた。

そんなおだやかな夕方に事件は起こったのである。やや気温が下ってきたので、ホームセンターへ買い出しに出かけようと思いついた。ところが、久しぶりに自転車を動かしてみると空気が抜けている。新しい自転車に代わってから初めての空気入れだったし、空気入れポンプも新しいので緊張する。
英国式?米国式?小さい字が読みにくいし・・・とにかくゴム栓をはずしてみた。何をどうセットせればいいのか、マンションの玄関でかがみ込んで試行錯誤。
それでもうまく行かないので、首をかしげながらゴム栓の次に金属ネジをはずしてみた。やれやれ・・・とその時、「ブジュー」という音とともにタイヤの空気穴から緑色のねっとりした泡があふれ出てきてしまった\(@_@;)/
「あ、あ〜!」たちまち辺りは緑色に染まり、わたしはパニック状態に。何とかぼろ布をみつけて穴を押さえてみたが、栓をしなければ止まらない。でも栓をしようにも、順番も向きも不適切なのでなかなか止まらない。おやつに食べた梅酒の実の酔いが回ってきたのか、パニックに拍車がかかる。近くを何人かが通り過ぎたようだが、誰も助けてくれない。やっとのことで流出を止めて家へ戻った時にはもうふらふらで泣きだしそうだった。


せっかくいい一日だったのに、なぜこんな心になったのか? こんなことくらいで心乱している自分が情けなかった。
神さまに対しての申し訳なさから、力を振り絞って自転車屋さんに電話をかけてみた。ていねいに教えていただき、もう一度トライ!今度はうまく空気が入りかけた・・・とその時、ハッ!!っとした。そうだ!あの緑の泡はパンク防止剤だったそうだが、「押さえても、抑えてもあふれ出る」様子は、み心からあふれ出る主の愛を表わしておられたのかもしれない。その勢い、こちらが受けとめられないほどの量は、まるでイエスさまのみ心から世の終わりまで限りなく流れ出る「あわれみ深い愛」のようだった。



空気をいっぱいに吸いこんだタイヤは、夕陽に向かうわたしを軽やかに運んでいく。わたしは涼しい風に吹かれながら口ずさんでいた。

    「イエス〜さまの〜みここ〜ろは、つ〜よ〜く〜♪ 天の門をひらく〜、死のや~みをこ〜え〜て〜♪
     どこまでも〜どこま、で、も〜、しんらいし〜よ〜う♬」      CD『風のなかに』より