海星病院にて 〜わたしが産まれたところ〜


 海星病院での集会祭儀や病者訪問を終えて、坂を下りながら神戸の夕景を眺める時、なんとも言えない喜びが心に広がる。
やわらかい西陽に、白く輝く神戸の街と青い海。瞳の奥まで、さわやかな風が吹き抜けるようだ。


 産まれて間もないわたしが母に抱かれた写真のバックには、この病院の玄関に飾られているマリア像も写っていた。
こんなにも時間を経たのちに、わたしが同じご像の前を通って奉仕させていただけるようになるとは。
わたしには驚くことだが、神さまやマリアさまにはわかっておられたことかと思うと、なんだかこそばゆい。


 ご聖体をいただく前に、その日のみことば(マタイ14/22〜33)をみなで味わう。
湖上を歩くイエスを見て、幽霊だと怯える弟子たち。そしてペトロは、イエスの目前にあっても強風に怖れて叫ぶ。


 結局、信仰の弱いわたしたちは、全知・全能・永遠の愛である方を目の当たりにしても、ゆるがない恵みに支えられていても、
不安になったり、怯えたりする生き物なのだ。「信じます」「信頼します」と力をこめて宣言できたとしても、100%の信頼と委託にはならない。

 それでも・・・どんなに不完全であっても、精一杯の信頼を寄せると、神さまは、赤ん坊のようなわたしたちをあわれみ深いみ腕で抱きしめてくださる。
ここ数日、わたしは強い不安に囚われていた。日々のみことばが、力強く目覚めさせてくれるが、しばらくするとまた、暗い雲が覆いかぶさるようだった。
そして、そのストレスで心臓が開店休業しようとしている。


 情けない思いで項垂れる時間が続いたが、格好をつけずにそんなみじめな自分を受け入れた時、わたしは“赤ちゃん”になれた。
手のかかる、汚しっぱなしの赤ちゃん、自分ではしっかりと立つことも話すこともできない赤ちゃん、寝ること専門の赤ちゃん。
でも、ゼッタイに愛し抜かれていることを疑わない赤ちゃん。

 
 原点に戻れたわたしに、今、神さまからの恵みのシャワーが降り注いでいる\(*^。^*)/