父の着ぐるみ 


「あと一年の命です。たぶん次の夏は越せないでしょう」
7年ほど前、力なく横たわるわたしに医師たちはこう告げました。ところがわたしは奇跡的に回復し、その時見舞いに来てオロオロしていた父を逆に看取ることになったのです。
 
 しばらく入退院をくり返すうちに父の癌は全身に転移し、担当医はやむなくホスピス行きを勧めました。ところが父は医師の提案を拒み在宅ホスピスを選んだのです。ですが、たった一人の看護者であるわたしは、当時は肺炎を病んだり手術を受けたりするなど病弱で、人を看護するどころではありませんでした。どう考えても在宅ホスピスは無理な状況だったのです。
 
 でも、「父の看護を在宅で!」ということは神さまのお望みだったのでしょう。わたしはそれに抗うことができませんでした。「何でこんなことに。入院してくれたらどれほど・・・」と、当時のわたしは不機嫌なまま、仕方なく父に仕え始めました。ところが、度々口にする父のことばがわたしの心の向きをゆっくりと変えていったのです。

 「しあわせやね〜」「ありがたいね〜」と冗談交じりの口調ですが、発せられた“ことば”は聖霊を受けて“現実”となっていきました。ヨハネ20章に登場するマグダラのマリアのように次第にわたしの目が開かれて、現実は変わらないのにその中に潜む真実が見えてきたのです。わがまま放題の父の中におられるのは孤独な花婿キリスト!忙しいわたしを10分おきに呼び寄せるのは善き牧者イエスさま!食べこぼし、食べ残すのは幼子イエス!静かに眠るのは船の艫の方で眠るわが師!そう、そこにいるのは父の着ぐるみを着た“あの方”だったのです!


 こうなったら降参です。ただただ押し寄せる恵みに応えるだけ。でも現実には、わたしの信仰も徳も体力もナイナイ尽くしなので、倒れたり転んだりでした。そこで神さまはみ旨の実現のために自ら手腕を振るわれ、まずわたしたちを在宅ホスピスの医療チームと出会わせてくださいました。先生とスタッフの方々は、父はもちろん看護者であるわたしをも愛情こめて支えてくださいました。その上、皆さまからお祈りや励ましのことば、具体的な助けが寄せられ、気晴らしに誘い出してくれることもありました。

 また週末には三人の甥っ子たちがやって来て、おむつ交換や入浴介助を手伝い、ジイジと語らい、わたしにはとても及ばない愛を父に注いでくれました。「ゆりちゃん、いつもたいへんだね」と陰でわたしを労ってくれたのも幼い彼らでした。こうして有形無形の応援と、時空を超えた熱烈なお祈りがみ心を揺さぶり、父とわたしは何とか支えられたのです。


 父は体力・気力・記憶力などをゆっくりと手放し、神さまにお返ししながら旅立ちの準備を進めていたようでした。そんなある日わたしは、「ジイジ、天国はいい所よ。でもね、そんなに早く行かなくてもいいのよ。もっとここにいて!」と、物心ついて初めて父に泣きつきました。父は呂律が回らない口で「ウレシイ・・・シアワセヤ・・」と語りながら、わたしの頭をなでてくれました。数日後、父は与えられた命を生き尽くし、自宅のベッドで孫たちに身体をさすられ、声を掛けられる中、天へと召されて行きました。

 神さまのあわれみと人々の祈りによって、この地上に“神の国”が実現することを目の当たりにした数年間でした。
              心からの賛美と感謝のうちに! 合掌。