おかげさまで


心をこめて植えた小さな花を、自宅の花壇からどろぼうさんが持ち去った。
クリスマスの直前、それに気づいたわたしは「うわっ(゜o゜)!」と声をあげた。

以前にもこういうことがあった。そんな時、「だれかしら?こんなひどいこと!」とすぐに怒るわたしに対して、
意外にも父は「また植えたらいいやん」と静かだった。「えっ?」正義感の強い父からのことばとは思えず、
耳を疑った。「抜かれたら、また植えて、また抜かれたら、また植えたらいいやん」・・・・


生きているといろいろなことを体験する。強い風、冷たい雨、凍るような霙。
「死にそうだ」と感じる時、「もう終わりだ」と立ちつくす時もある。
あの父の生き様の底に、静かな流れがあることに初めて気づいたわたしは、そのメッセージを胸に刻んだ。
そして、わたしにはその奥から神さまの響きが届いてきた。


   キリストとともに死んだのなら、キリストとともに甦ればいい。
   キリストとともに転んだなら、キリストとともに立ち上がればいい。
   キリストとともに泣いたら、キリストとともに笑えばいい。


それ以外の道を探そうとするから、わたしたち人間は長く悶え、なかなか立ち上がれないのかもしれない。
時間はない。神さまはわたしたち人間と「愛し合う時間」に渇いて、待っておられるのだ。

そんなことを思いながら新しい花を植えていたら、感謝の思いで胸がいっぱいになっていった。
大切なことを思い起こしながらお正月に新しい花を揃えることができたのは、どろぼうさんのおかげだ。
どろぼうさん、どうか、うちの花壇から持ち去った花を大切に生かしてくださいね〜♪