アッシジの聖フランシスコのことば
「いったいいつの日に心の清い者になれるだろうか・・・」と思い悩む兄弟レオに対して、聖フランシスコはこうこたえられた。
「自分の心が清いいかどうか、そんなに心配してはいけない。目を神に向けなさい。神をたたえなさい。神が完全に聖なるお方であることを喜びなさい。・・・そうすれば清い心をもつことができる。
そのようにして神に向かう時、自分自身のことを振り返ってはならない。どれほど神と一致しているか、などと考えてはいけない。自分自身の不完全さや、罪の深さをあからさまに見て悲しむのは、人間の気もちである。あまりに感情的だ。目で、高いところを仰ぐが良い。ずっと高いところを。そこには神がおいでになる。限りない広さと、変わることのない輝きをもつ神が。
心の清い者とは、生きるまことの主を絶えず礼拝している者のことなのだ。そのような人は神の生命そのものと深く結ばれて、どんな惨めさの中でも、神の永遠の喜びを深く感じることができる。このような心を持つ人は、すべてから離脱していると同時にすべてに満たされている。この人にとっては、神が神でいられることだけで足りるのだ。それだけで、またくの平安、まったくの喜びを見出すのだ。そうなると、神ご自身がその人の聖性の輝きになられるのだ。」
エロワ・ルクレール著 峯岸秀子訳 光明社
「まことの智にいたるまで 〜アッシジの聖フランシスコの歩み〜」より
写真:アッシジの街を臨む聖フランシスコの座像